おなまえ かいて

「あしに おなまえかいて、ママ
すうじは ぜったい かかないで
あたし かずじゃない
おなまえが あるの」

この一節は、灘中学の国語の入試問題に出題された詩の一部です。
ネットニュースでこのフレーズを目にしたとき、
私は読み間違えてしまいました。

「あし」を「葦」と読んでしまい、
この子は名前が書けなくて、
母親に「葦に名前を書いて、自分の名前を教えてほしい」のだと思ったのです。

ところが、次の詩を読んだ瞬間、
その解釈は音を立てて崩れました。

「あしに おなまえかいて、ママ
くろい ゆせいの マーカーペンで
ねつでも とけない インクでね」

意味が分かった瞬間、
目から涙がこぼれました。

そうか。
この子は、自分自身のに名前を書いてほしいと言っているのだ。

そのことに気づいた途端、
嗚咽が止まりませんでした。

では、なぜ「足」なのか。

調べて、初めて知りました。
ガザでは、空爆などで命を落とした際、
身元が分かるように、
子どもの手や足に名前を書くことが勧められているということを。

おそらく、名前が分からない遺体には、
政府や関係機関によって番号が付けられるのでしょう。

「おかあさん、私を絶対に見つけてね」

そんな小さな子どもの声が、
胸の奥で聞こえた気がしました。

見つけられなかった遺体の足に、
大人が数字を刻む光景が目に浮かびます。
子どもたちは、それを見ているのだろうか。
名前を失い、数字だけで扱われる現実を。

それが嫌で、
母親に必死にお願いしているのではないか。

「足に お名前書いて、ママ
数字は 絶対 書かないで
私は 数じゃない
お名前が あるの」

子どもにとって、これは切実な願いです。
死を覚悟し、
死後であっても、
一人の人間としての尊厳を守りたいという思いが、
静かに、しかし強く伝わってきます。

この詩を子どもに読んであげようとしても、
声が出ませんでした。
同じ親として、受け止めきれなかったのです。


我が家では、毎年正月になると、
玄関の前で家族そろって写真を撮ります。
もう何年も続けている、何でもない習慣です。

写真が増えるたびに、
子どもが確かに成長していることを実感します。
そこに写っているのは、
「生きてきた時間」そのものです。

我が子に、
「足に名前を書いてほしい」と
願わせる世界であってほしくない。
親として、心からそう思います。

そんな世界がこれ以上広がらないように、
私たちは何をすればいいのか。

簡単な答えはありません。
ただ、
一人ひとりが名前を持つ存在であることを、
数字や記号に置き換えないこと。

その感覚だけは、
失わずにいたいと思います。