紫陽花とともに想う、日常という平和

皆さん、こんにちは。
居合道ブログ管理人の英(はなぶさ)です。

大阪もついに梅雨明けを迎えました。
先日、雨雲と共に雷が走り、空が割れたような稲光がありました。僕の住んでいる地域では一時的に停電が起きたようで、子どもたちの話によれば学校近くの電柱に雷が落ちたとか。季節の節目に自然の力を見せつけられたような出来事でした。

そんな中、先日、奈良・明日香村にある岡寺(おかでら)へ紫陽花を見に行ってきました。
古くから「花の寺」として親しまれるこの場所は、静かで、しっとりとした空気に包まれていました。

今年は空梅雨だっただけに紫陽花の時期は短かったかも

手水舎に咲く祈りの花(写真①)

まず目を引かれたのが、手水舎(ちょうずや)に浮かべられた色とりどりの花々。
紫陽花に加え、菊の花やカラフルなガラス玉が水面に揺れ、まるで静かな祈りのような美しさです。
「洗い清める」という行為が、ここでは五感ごと癒される時間になっていました。


和傘の下で咲く命の色(写真②)

境内を歩くと、和傘の下にそっと寄り添うように咲く紫陽花の鉢植えたち。
まるでひとつひとつが、誰かの想いを包み込んでいるように見えました。
花のひとつひとつが控えめでありながら確かな存在感を放ち、心を落ち着かせてくれます。


青という静けさ(写真③)

個人的に最も惹かれたのが、濃く澄んだ青い紫陽花。
この色を見ると、刀を抜く前の一瞬の“間(ま)”を思い出します。
動と静の狭間にある緊張感と、静寂の尊さ――
居合の精神とも、どこか重なるように感じました。


本堂で見かけた人形(写真④)

本堂の手前には、一体の小さな仏様が、仏様を囲むように花の入った小瓶が並べられています。
そのたたずまいは、言葉はなくとも訪れる人に何かを語りかけてくるようでした。
形あるものの中に宿る“こころ”を、大切に受け止めたいと思わされる瞬間でした。


平和とは、静かな日常のこと

花も、刀も、音楽も、祈りも――
その根本にあるのは「命を守る」という願い。

刀は誰かを斬るためでなく、自分を律し、他を守るためにある。
花は見る人の心を穏やかにし、音楽は争いを和らげる。
静かな日常があるということが、どれほど尊いかを、改めて思います。

世界では今日も、平和とは程遠い出来事が起きています。
でも、こうして私たちの身近には、美しい風景と穏やかな時間がある。
だからこそ、守りたいのです。
この日常を、これからも。

それでは皆さん、暑い日が続きますが、どうぞご自愛ください。
次回はまた道場での出来事を綴ろうと思います。

―― 居合道ブログ管理人・英(はなぶさ)