追悼

英(はなぶさ)です。
いつもブログを見に来てくださり、本当にありがとうございます。

今日は、少し個人的なお話をさせてください。

先日13日、私の兄弟子が永眠されました。(あえて名前は出しません)

居合を始めた時期はほぼ同じ。私は大学生、兄弟子は私の父と同じ年齢でした。兄弟子というより、どこか親子のような間柄だったように思います。
道場では年齢差など関係なく、ともに汗を流し、ともに叱られ、ともに技を磨きました。その日々は、今も昨日のことのように思い出されます。

居合道というのは不思議な世界です。
師匠は父であり母。
一日でも早く門を叩けば、年齢がどれほど離れていようと兄弟子、姉弟子となる。血縁ではないけれど、確かに「家族」と呼べる関係がそこにはあります。

年の差ゆえに、居合道を知らなければ不思議に映ったかもしれません。
「親父」「息子」と呼び合い、冗談を言い合いながらも、ひとたび刀を抜けば互いに一歩も譲らない。本気で向き合う時間でした。

居合道は一人で抜き、一人で斬る武道です。
しかし、誰しも一人では強くなれません。
隣で振るう誰かの気迫、技の冴え、悔しさや喜び――それらが自分を磨き、知らぬ間に背中を押してくれるのだと思います。

晩年は稽古に対する考え方の違いから、それぞれの道を歩むことになりました。袂を分かった事実はあります。
それでも顔を合わせるたびに、変わらぬ厳しさで、そしてどこか温かさをにじませながら、的確な助言をくださいました。その一言一言に、兄弟子としての矜持と愛情があったのだと、今になって深く感じています。

お互いにそれぞれの立場があり、その立場にふさわしい距離があったのかもしれません。
それでも「刀を振る者同士」という絆は、決して切れるものではないのでしょう。

人はいつか、静かに鞘に納まります。
抜き放った命も、やがて穏やかに収まるときが来るのでしょう。

だからこそ、
今この一振りをどう抜くのか。
今この一瞬をどう生きるのか。

もはや兄は、このブログを読むことはないのかもしれません。
それでもなお、一言 言えるなら――

「満足したのか」
「燃やし尽くしたのか」

そう問いかけたくなります。

そして同時に、その問いは今の私自身に向けられているのだとも感じています。

与えられた時間を出し惜しみせず、
振るうべき時に振るい、
生き切ることができているのか。
私はこれからも一本一本を丁寧に抜いていこうと思います。

心より、ご冥福をお祈りします。 合掌